遠い、遠い昔の話をしよう。
まだこの土地が、アルビオン大陸と呼ばれていた頃のことを。
北の森に、魔王が住んでいた。
魔王は恐ろしい力を持っていて、だれ一人敵わなかった。
あまたの勇者たちが討伐のため旅立つが、
みな魂を抜かれたような顔をして
――実際に魂は抜かれていたのかもしれない――
討伐はなされることなく、彼らは帰ってきた。
ある日一人の勇者が北の森へ魔王討伐に出かけた。
『今度もきっと駄目だろう』 街の人々は口々にそう言った。
三日三晩の後に帰ってきた勇者は、しかし町の人々を前にこう話した。
「魔王の討伐は敵わなかった」
「けれど魔王の力を封じることは出来た」
「北の森の魔王は、もう二度とその力を振るうことはないだろう」
めでたしめでたし。
この物語にはもう少しだけ続きがある。
北の森の魔王はその後どうなったのか? 一体勇者は何をしたのか?
魔王はどんな恐ろしい怪物であったのか……?
――これは誰も知りうることのない物語である。
北の森に住む魔王は孤独だった。
親を亡くし、兄弟を亡くし、手にした力は振るうたびに何かを傷つける。
次々とやってくる勇者たちに助けを求めるも、誰も話を聞いてはくれなかった。
「忌々しき魔王め」
「よくも友人を」
「恋人を」
「家族を」
「兄弟を」
そんな恨み言ばかりが降り注ぐ。取り囲む。
うんざりしていた。
『力を手に入れるまではお前たちとなんら変わらない人間だったのに』
そんな言葉を聞くような者は、一人として訪れなかった。
だから彼らの魂から、ほんの少しずつ寿命を盗んだ。
もはや恐ろしい魔王と言われようが知ったことではない。
誰もこの森に近付いてくれるなと、そんな思いを込めて勇者たちを街へ帰した。
だのに、そいつは森に現れた。
「私は魔王を倒しに来た」
そんなありきたりの台詞と共に。
「魔王よ、私には貴方が到底恐ろしいものとは思えない」
「本当に恐ろしい者は誰も生きて帰しなどしないだろう」
「貴方の本当の望みは何だ」
そんな、誰にも言われたことのない台詞を言った。
魔王は望んだ。際限のない力を押し留める方法を。
魔王は望んだ。やがて人として朽ちていくことを。
魔王は望んだ。誰かと共に語らうことを。
魔王は望んだ。森よりもずっと広い、世界へ旅立つことを。
勇者は一つ頷くと、小さな箱を取り出した。
「私が受け継いだことの意味が、ようやっとわかった」
「この箱は持ち主の力と生命力を吸い上げ、美しい音色へと変えるものらしい」
「人間が使えば死へ至る呪いの箱」
「しかし貴方にとっては希望の箱となるだろう」
手に取った箱は、音楽を奏で始める。
音声ファイルへのリンク
「魔王は底知れぬ魔力を持ち、また十数名の勇者の寿命を得ていた」
「彼が朽ちるのは、まだ先の話だろうね」
吟遊詩人はうっすらと笑った。